ディープ彦根の秘密基地・ダンスホール紅花物語

「ちょっと見てほしい場所があるんだけど」
そう言ったのは、私が市民活動でお世話になり、時々お店のお手伝いもしていた料亭の若旦那だ。
彦根では、芹川と花しょうぶ通りに挟まれた一帯を『袋町』と呼ぶ。古くは花街として栄え、今もスナックや飲食店が立ち並ぶ飲み屋街だ。彦根という街の規模からしてもこの店の数は多いと感じるが、そこに若者の姿はない。
そんな場所に何があるのか。芹川沿いを歩き、シャッターを上げ階段を登って扉を開けた先にその店はあった。

雪が残る芹川沿いの道

昔はダンスホールやキャバレーだったというその店は、結構な広さだ。電気も水道も止められた空き店舗、懐中電灯に照らされたゴミの山、ソファやテーブルは埃に覆われている。従業員控え室には、前年のカレンダーとミニスカサンタの衣装が残されていた。
「綺麗にしたらライヴで使えるよ」
2014年の冬、これが私と『紅花』の最初の出会いだった。

最初の紅花

私は2009年の『井伊直弼と開国150年祭』の市民創造事業『開国ライヴ』をきっかけに、彦根城の近くにあるスミス記念堂を中心にカフェや古民家などで、アンダーグラウンドな音楽ライヴの企画を続けてきた。虚仮の一念、好きこそ何とか、集客もあまり望めないようなライヴ。
当時、彦根の中心部にはライヴハウスがなく、常に会場探しに悩まされてはいたが、さまざまな場所での企画は楽しいものであり、徐々にだが仲間も観客も増えていた。
そんな中、すでに日程の決まっていたライヴの会場が急きょ使えなくなり苦戦していたところに、この場所が降って湧いたように現れたのだ。
「この広さ、何とかなる?このゴミどうすんだ。残された日数は正月を挟んでの三ヶ月あまり、出来るのかオレー!?」

そんな時、悩む私の背中を押す強力な助っ人達が現れた。共同で企画をしていたメタルお兄さん、袋町のロケンローなマスター、最初は観客として出会った若者達に、頑張れと励ましてくれる女友達、そして件の若旦那。皆の協力あっての、紅花再生工事が始まった。
何度もゴミを運び出し、モップや雑巾をかけ、カウンターにはシートを貼り、ペンキを塗るのはDIY、大家さんからの援助もあり、席の仕切りを取ってステージにする工事を彦根屋山ちゃんに発注。音響機材は、企画をする有志で共同購入したものを持ち込んだ。

この地所は、かの料亭も含めた古くからの地主さんたちの会社で管理されており、階下はなんと芸子さんの事務所だったそうで、お稽古のための舞台があったりする。建物の老朽化に加え、大バコであることなどから借り手がつかず、持て余し気味だったようだ。
紅花階下につながる『ぶらリ横丁』と名付けられた数件のスナック通りも、営業しているのは一軒だけ。管理会社代表の高田さんは、「飲食店でなくても新しいアイデアで使ってくれる人がいれば」と話している。商売優先でなく、この場所を使わせてくれている大家さんに感謝。

しかしながら、建物の外観は蔦の絡まるスレート葺きに瓦屋根、その土台の古さは想像を軽く超える。
「隣はホテルだというのに、壁の薄いこと。なんか穴もあいてるし、大丈夫なんかここー!?」

だが、やると決めたらやるしかない。
ステージが完成した2015年3月9日、近くにある千代神社の宮司によって、無事ご祈祷がとり行われた。古くからの場所だからこそ大事にしたいと思う。千代神社は芸事の神様だ。
昔、ダンスホールだった時ここは『べにはな』という名前だったと聞かされた。ステージを作るためにフローリングを剥いだら、彼岸に咲く花のような紅い床が現れて、この場所の名を『ダンスホール紅花』にしようと決めた。

グランドホテル当日

それはもう、何度も心が折れそうになりながら、3月29日の杮落とし『Grand Hotel』の日を迎えた。バンド、パフォーマー、DJが出演、混乱もありつつの大盛況。この場所を懐かしむ人や、若い音楽ファンまでたくさんの人たちが駆けつけてくれた。
だけど、その時はまだ一夜限りの花かもしれないと思っていた。

紅花杮落とし

その後、オーナー会社はここを貸しイベントスペースとすることを決め、使用規約が作られた。使用規約の中では、『相互観光開発文化交流会館』といういかめしい名前がつけられていた。

私は何度かの無料使用権をいただき、手伝ってくれた人たちを交えて企画をし、いつの間にか管理人のような立場になった。
紅花の天井にはシャンデリアにミラーボール、フロアには長いバーカウンターやソファ席などがあり、昭和レトロ感がたっぷりだ。

カウンターと、天井のシャンデリア

ミラーボール輝く紅花ステージ

若い人たちの目には、そんな紅花が新鮮に映るらしい。昔の紅花を知る人には懐かしい場所として、いくつもの企画が持ち込まれるようになった。ヘビーメタルあり、弾き語りあり、ジャズライヴあり、クリスマスやハロウィンに夏祭り、バンド練習やパーティ、学生さんにも使ってもらった。
たくさんのアーティストがいい場所だね、また来るねと言ってくれた。
ステージもフロアもレイアウト自在、白い壁を生かしての映像照射、上映会にも使え、VJやライトショーも映える会場である。

OHPによるライトショー

ツインドラム+仙石彬人

佐藤朗、仙石彬人という東西のリキッドライトの雄に出演してもらえたことと、袋町の先輩達と企画した彦根出身の加川良さんのライヴは特に印象深い。同級生の声も飛ぶ満員御礼、もう一度じっくりと紅花で、と思っていた矢先に良さんは旅立たれてしまった。

2016年の8月から、私は1年間の賃貸契約を結ぶことを決心する。
夏期には必須の大型クーラーを稼動するため、電気代を含めての賃貸契約が条件になるからだ。この時から紅花は、名実共に私たちの場所になった。

それでも、近隣への気配りは怠らないように、ライヴ時の音出しは21時までと決まっている。スタッフが集まり、機材も充実してきた。二つあるドラムは、どちらももらい物だ。
大学が三つもある町なんだから、学生さんに来て欲しいと、学生無料の企画も多い。袋町にはこんな面白い場所があるんだよ。もっと紅花を知ってもらいたいと思いつつ、一年なんてあっという間に過ぎてしまった。

フロアライヴで夏祭り

至近距離シリーズ

これからの紅花をどうするか、
実はこの後、私は20年住んだ彦根から郷里の松山へ引越しすることが決まっていた。
一年の終わる頃、それまで企画を持ち込んでくれていた若者達が紅花の運営に手を挙げてくれた。紅花はまだ始まったばかり、まだまだ課題が満載だけど、それも励みにしつつこの場所を引き継いでくれる人達がいる。
その中の一人で自身もアーティストとして活動する、とめだいおんにこれからの紅花をどんな風にしたいか訊いてみた。

紅花エントランスに立つとめだいおん

「刺激と緩和と協力、滋賀には無いものを少しずつ取り入れ、皆様に紅花で起こっている事は面白いという信頼を持っていただけるようにしたい。ディープイベントスペースとしての立ち位置も確立しつつ、受け止めやすいイベントも企画する。この場所にお越しいただいたり、使いたいと思ってくれる人達の感性溢れる空間になる事が、ダンスホール紅花の色になればいい。基準やルールは今後自然と出来ていくと思う」

もうすぐ彦根を離れる私ではあるけれど、この機会に、紅花を得た奇縁を振り返ってみた。
場所とそこにまつわる物語は、人が作るのだ。紅花に人々が集い、ここが新旧の交わる場所になることを願う。


ダンスホール紅花

滋賀県彦根市河原2-8
メール:hikonebenihana@gmail.com
Facebook:http://fb.com/865006813573664
Twitter:@HIKONEBENIHANA

(市民ライター:野本由香 /写真協力:とめだいおん、馬場司、仙石彬人、半月舎)

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